私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
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「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」 (コロサイ3:12〜14) デールウォーカーの「結び合い」のコメントを読んで、私と神さまとの事を考えた。 (おいおい!考えてなかったのかよって感じやけど。笑) すると、上の聖書の言葉が出てきて、 神様と私たちの結び目にはすでに完全なものがあるって思った。 それは・・・・ キリストの愛。 私たちが認めても認めなくても、その愛はすでにあって、 一方的で、 私たちはそれを認めるだけ。 信じるだけなんだって。 夫婦の場合。 愛を持ってこないといけないと思った。 私と夫の間に、「愛」を置くことなしに結ばれることはないのかなと。 違いのある人に対して聖書は語っている。 結びの帯として『愛』を着けなさいと。 それは完全だから。。。 愛しか私たちを完全に結ぶものはない。 ↑ランキングに参加しています。良かったら、クリックお願いします。他のクリスチャンブログもかなり必見!いつも励まされてます!!! |




