私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
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一体となる(2)
「それゆえ、男は父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:24)



一体となるとはどういう事なんだろう。

一体とは共有すること。

実際、夫婦の働きはまったく違う。

Aiの過ごす一日と私の過ごす一日、

考えただけでも、まるっきり正反対のことをしてる。




でも、

Aiの仕事を二人で共有してるって考えた時に、

私たちの心に変化があった。

Aiは、家族を養っていく責任と、

仕事の中で毎日、大きなプレッシャーや問題と戦っていた。

でも、「この仕事を妻と共有する。」って考えた時に、

すごく力を感じて、楽になったって話してくれた。

私もAiの仕事を共有してるって思ったら、

私もその場所に行くような気持ちになって、

Aiのために祈って考えて、参戦しようと思った。



家事と子育てに関しても同じ。

私が家で何かするとき、

「Aiと共有してる。」って考えた時に、

何をするのか随分クリアになった。

ひとつ思ったのは、

Aiの仕事は朝早くて夜遅い。

平日はケイタの寝顔しか見れなくて、

一緒に遊べるのは日曜日くらいなんだ。

でもその中で、お父さんがいない家庭をつくるんじゃなくて、

お父さんがいる家庭を作ろうって思った。

お父さんがいないときも、お父さんを認める。

お父さんがいないときも、お父さんを尊重する。

そのためには、私の意識が変わる必要があるし、

言葉も変わってくる。

面白いのは、

Aiの意識も変わった。

今までは、仕事のせいで家族との時間が取れなくて、

悪いな〜、これでいいのか?っていう責める思いがあったけど、

共有と考えるときに安心して任せることができるし、

時間を作れない自分を責める思いがなくなったんだって。




二人の役割があって、

その目的をひとつにするとき、

一体となって動くことができる。



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一体となる
「それゆえ、男は父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:24)





一体を妨げるもの、

事件や、繰り返される問題そのものじゃなく、

もっと根っこの部分に理由があった。

それは、『罪の性質』。

罪の性質はすべての人が持っている。

小さい子だって立派な罪人。

隠す心を持ってたり、

自己中心的な心を持ってる。

生まれてから罪人になるんじゃない。

生まれた時から罪の性質を持って生まれてくるんだ。



夫婦がひとつになろうとする時、立ちはだかる『罪の性質』

この立ちはだかる壁を打ち壊すのは、イエス・キリストただひとり。



「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とはさまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」
(エペソ2:14〜16)



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完全な結び目
「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」
(コロサイ3:12〜14)



デールウォーカーの「結び合い」のコメントを読んで、私と神さまとの事を考えた。

(おいおい!考えてなかったのかよって感じやけど。笑)

すると、上の聖書の言葉が出てきて、

神様と私たちの結び目にはすでに完全なものがあるって思った。

それは・・・・

キリストの愛。

私たちが認めても認めなくても、その愛はすでにあって、

一方的で、

私たちはそれを認めるだけ。

信じるだけなんだって。





夫婦の場合。

愛を持ってこないといけないと思った。

私と夫の間に、「愛」を置くことなしに結ばれることはないのかなと。

違いのある人に対して聖書は語っている。

結びの帯として『愛』を着けなさいと。

それは完全だから。。。

愛しか私たちを完全に結ぶものはない。



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結び合い
「それゆえ、男は父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:24)




『結び合い』について考えた。

ひとつじゃないものが結び合わさる。

結ぶ、結ぶ、結ぶ・・・・

ん?

結ぶってことは、はずれるかもってこと??

おっと、、、そうなの??



結び方にもいろいろある。

かたい結び方。

ゆるい結び方。

今日、私たちはどんな結び方をしてる?

結び目をはずれそうになってないか、

チェックすることが大事だねって結論になりました。


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助けはどこから?
私は方法論の本を読むのが好き。

経験してなくても、多くの知恵の人が教えてくれる。

でも、時々神様に聞かないで、本や人に聞いてる時があるなって思うんだ。

その時、頭でっかちになっていくのが分かる。

答えがみつからない。



行き着くところは結局、神様。

「神様教えてください。」という心。

神様に聞くことなしに、答えはみつからない。

神様に聞くことなしに、いのちを得ることはない。



不思議と神様に聞く心を持っているとき、

本や人を通して、神様は語ってくれる。

だから、私はこれからもやっぱり本を読むし、いろんな話を人としたいです。



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