最後の授業
結局、最後の授業になってしまった木曜日。

何が語られたのか。

(金曜日はね、賛美からそのまま祈りの時間になったんだ。)



それは、

『どのようにして、リーダーをつくるのか』
(斜め文字が授業ノートより)

リーダーとは生まれながらにして、

持っている性質ではなく、

発展するものだという。


私は、どこかの場所でリーダーを育ててる立場ではないけど、

子を持つ親として、覚えておかなければいけない事柄と思った。



1、正直さ(誠実さ)を求める。

品性、誠実さが私を支える。

骨と皮で例えてくれたんだけど、

その誠実さは、骨のようなもの。

人気や賜物や、用いられることは皮。


アダム師の学校で、あるとき、

腕相撲大会があったんだって。

そこで、登場してきたのがすごく筋肉を鍛えてる男の子。

あだ名を言っててんけど、

プロテイン?

違うな。

忘れちゃった。

とにかく、そんなあだ名を付けられるほどの筋肉隆々の彼。

すごく接戦だった。

みんながその試合に注目した。

でもね、

次の瞬間、

彼の骨がポキって折れたんだって。

彼は筋肉は鍛えれたけど、骨は鍛えれなったんだろうって。

誠実さが私を支える。



2、間違いを期待する。

期待するんだよ。

成功を期待するんじゃなく、

間違いを期待するんだよ。

初めて聞いた。

間違うことを許されない世界って緊張するよね。

間違ってもいいんだ、間違っても否定されないその世界は、

どれだけ生きやすい世界なんだろう。

間違いの中に、多くの宝物が眠ってる。

間違いは失敗じゃない。

間違いは次に行くステップ。

間違いを許す親になりたい。



3、安息を覚える。

安息日は、「日」そのものではなく原則です。

私達を助けるために神様が与えたもの。


自分にとっての安息があると思う。

それはお茶することだったり、

好きな音楽を聴くことだったり、

気の知れた友達と語りあうことだったり、

自分が回復するためのもの。

それも安息だね。

だけど、最も必要なのは、

ただただ神さまとの時間を過ごす。

聖書を置いて、

賛美を口ずさんで、

神様に話していく。

神様と二人だけの時間、

その中に本当の安息がある。



4、責任を与える。

責任を与えられたときに、人は認められることを知るかもしれない。

自分は役に立つ存在なんだ。

いてもいいんだ。

どこかに招かれてずっとお客様扱いだと、

居心地が悪かったりする。

何か、自分の役割を見つけたときすごく嬉しかったりする。

そしてその責任は、成熟を生む。

その中で失敗しながらも、学んでいく。

よく考えて、間違いながらも、自分の力になっていく。

そして違うことを任すことができるようになる。



5、成功を再定義する。

「完全さ」、

「人が集まること」、

「人気」が『成功』ではない。

『成功』とは『健康』であること。


この言葉すごく好きです。

好きだけで終わっちゃいけないね。


6、困難を一緒に受け止める。

困難、苦しみは成熟へと導く。

この「一緒に」っていうのがポイントやと思う。

どれだけの子供たちが一人で戦ってきたんだろう。

置き去りにして、

見て見ぬふりされて、

誰も自分に味方がいない、そう思ったとき人は何を考える?

私もそんな覚えがあるよ。

一緒に困難を受け止めてくれる人がいるとき、

人はものすっごい力を得るんじゃないかな。



7、大きな3つのことに備える。

それは第一ヨハネ2章16節。

肉の欲。

目の欲。

暮らし向きの自慢
。(←こんなこと聖書に書いてるんだね。驚いた。)


肉の欲とは、性的なもの。

目の欲とは、お金、車、物質的なもの。

暮らし向きの自慢は、高慢。

これはクリスチャンになっても、決してなくならない。

これは戦わなくてはいけない分野。




8、仕える、仕える、仕える、仕える・・・・・・!!



9、御霊の賜物(第一コリント12章7〜11節)の訓練をする。

これは与えられてるものを受け取って、

管理し、訓練しないといけないんだね。




実際に育つ側に立った今、

神様に知恵を頂いて、取り組んでいきたいと思います。



ブログ村でも、いろんな方が秋葉原殺傷事件に触れていらっしゃいますね。

本当に痛ましい事件。

私自身、神様に出会って初めて、

愛があること、

認められてること、

自分の存在価値を知りました。

それでも、クリスチャンになっても、

人から見放されたり、

拒絶されたり、

陰口を言われたりしたことがあります。

もし自分の周りがそんな世界だけだったら、

おかしくなるかもしれないと思う自分がいてます。



しかしながら、

私は子供を持って以前よりも遥かに、命の尊さを感じています。

痛ましいニュースを見るたびに心に痛みが走ります。

遺族の方、近しい友人のことを思うと言葉がみつかりません。

もし自分の息子が・・・と思うと、どうなるかわかりません。

悲しいかな、

そんな事件はこれからも起こってくるでしょう。

自分はどうしたらいいんでしょうか。

そんな世の中に対抗できるんでしょうか。



聖書は言います。

『闇は光に打ち勝たなかった。』と。

光を頂いている私たちは、

たとえ小さく思えても、その光を消すことをしないで、

輝かしていく。

与えられた家族、

与えられたその小さな世界で、

誠実に歩んでいくことじゃないかなと思います。



だから、

神さまから受けている恵み(光)をこれからも分かち合ってください。

その小さな世界の輝きが励ましになってます。



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献身すべきこと
私たちが献身すべきこと。

1、御言葉に献身する。

2、交わりに献身する。

3、クリスチャンじゃない人との交わり。

4、祈り。



今の時代、

御言葉と祈りは「やってます!」って言えるクリスチャンは多いかもしれないけど、

2と3に関して献身してる教会は少ないんじゃないかって。

ここで言う交わりは、ただお茶を入れて、当たり障りのない話をすることじゃない。

お互いの世話をしあう。

二人の人が背中を合わせて、他から守り戦う。

戦友とも言えるかもしれないね。

確かに私自身思い当たる。

使徒の働き2章には、

「いっさいのものを共有していた。・・・

資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。」

って書いてるもんね。

もっと、生活に密着していて、

お互いの必要を知っていて、それを満たし合っていたんだ。



教会が失ったものを取り戻したい。

私は堂々と、御言葉と祈りに献身してます!とは言えないよ。

でも、私達家族が本当に御言葉に献身していったら、

どうなるんだろうって考えた。

交わりに献身していったら・・・・。

祈りに献身していったら・・・・。



まずは、御言葉に献身する者になりたい。

普段の生活の中で、御言葉を思い浮かんだら、

従っていきたいと思った。

私たちの基準は自分の感情じゃなくて、

培った良心でもなくて、

他の人の考えでもない。

永遠に変わらない神の言葉にある。



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やっぱり気になるよね。

私がした質問。



アダム師と一緒に来られた先生。

ジョン・ハンター師。

かっこいい名前だね。

彼も昔ドラッグしてたらしいんだけど、

そんな風には全く見えない紳士そのもの。

私が質問した時も、手を止めてきちんとこっちを向いて、

答えてくれた。



先生の授業ではね、

イエスさまはどのように情熱を持っていたかってことが語られた。

一つ目は、「壁のない愛」

二つ目は「命を差し出す心構え」

もう、このタイトルからしてすごい。

先生のいろんな経験を通して、授業をしてくれた。



私の授業ノートより↓

『私が自分だけに注目するなら、自分を滅ぼすことになるだろう。』


『神様は自分のミニストリーを建て上げる事に関心を持ってる人ではなく、

人を建て上げることに関心を持ってる人を望まれる。』


『ミニストリーの最高点は人に利用されることが分かってても人に与えること。』


『人を育てるのは、ルールや教育を教えるのではなく、あらゆる代価を払う。』


『人が愛さないときも愛する。』



心が痛かった。

そんな自分は程遠い。

自己犠牲、自分を差し出すということ。



私がした質問は、

「先生には境界線がありますか?」

少しの沈黙の後・・・

「私の境界線は少ない。

例えば、私は妻あるものとして女性との関係は気をつけます。」



もうひとつの質問は

「自己犠牲をして潰れてしまう人がたくさんいてます。

その人と先生の違いは何だと思いますか?」

すると、

「その人たちは途中で止めてしまったんじゃないか。

愛することを止めてしまったんじゃないか。

・・・・

愛することが働きになってるのかもしれない。

愛することは仕事ではない。

仕事にしてしまうと、潰れてしまうだろう。」


質問の最中、ノートを取ったわけじゃないから、

記憶を辿って書いたけど、

こういう感じのことを答えてくれた。



ついつい、「自分を差し出しなさい。」と言われると、

その言葉だけに目が留まり、

愛も何もなく、行動だけをしてしまう。

質問して思ったのは、

自分はどういう者かっていう認識と、

愛とはクリスチャンの性質だけど、

仕事にしてはいけないってこと。




授業の中で祈りがあった。

「教えてくださるだけでなく、愛と情熱を与えてください。

人が愚かだと思っても。愛する者としてください。」


愛と情熱を与えてください。

その祈りを聞いたときに、

先生だけが特別に愛の人って訳じゃないんだなって思った。

きっと、愛と情熱を与えてくれるように

たくさんの祈りを捧げた人なんだって思った。




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飢え渇き
北海道石狩市にあるCFNJ聖書学院です。

えりんぎはここで2年間学びました。

学院を卒業してから4年。

月日が経つのは早い。

とても綺麗な学院です。

学院1



えりんぎが卒業してから、

与えられた子供のためのミニストリーホール。

↓↓↓

2階は、家族寮になってます。


学院3



えりんぎは最初、この施設に目が留まり、

調べていくうちに、ここしかない!って思ったのであります。

騒がしい日常を抜け出して、

静かな場所にいく大切さを、もう一度思い返しました。




で、学院にくるのが4年振りになるわけだけど、

(卒業後に一回来たけど、授業には出てないからね。)

今回は学生と同じように、

朝8時からの賛美礼拝に出て、

午前中は授業に出させてもらいました。

久々のこの感覚。

学生の時は当たり前のように過ごしてたけど、

毎朝、集まって思いっきり賛美できる環境。

授業の内容は、自分の関心のある聖書の話。

教えてくれる先生は、知識も経験もある先生で、

普段は何千人かの前でメッセージしてる先生だ。

(学院では30〜40人。それでも神さまが与えてる働きと受け取ってきてくれてるんだって。)




母子室は2階にあって、

ガラス越しで授業を受けてたんだけど、

授業の中でちょっとした質問が出てきたんだよね。

でも、休み時間になるとケイタは寝てるし、

ケイタを起こして1階のホールに行くには、

あまりにも時間がかかるし、

英語のできないえりんぎは、通訳できる人もつかまえなきゃいけないし、

そのタイミングが難しかった。



でもね、その後。

食堂で友達を話してると、

私の質問したかった先生が一人で下りてきたんだ。

(アダム師を含め今回は3人の先生がいてた。)

私と話してる友達は英語ができる。

これを逃したら、もうチャンスはない。

アターーーーーっク!



えりんぎは学生の頃、

「いつでも聞ける。」っていう余裕がどこかにあって、

あんまり質問に行かなかった。

しかも、先生は授業終わって食事をとるところ。

タイミング悪いかな〜って気持ちの方がいつもなら勝ってる。

でもね、

今自分の置かれてる場所は、全然違うくて、、

こんな機会は到底ない!って思うと、

アタックするしかなかったんだ。



すると先生は、手をとめて丁寧に答えてくださいました。



『飢え渇き』を与えてくださいっていう祈りを聞くけど、

この飢え渇きってすごく大切だね。

質問って、答えにいき着くまでのやり取りから、

得るものがあったりするし、

他の人が質問する中でも、クリアになったりするんだよね。

私も、質問することを恐れないで、

掴み取っていきたいです。



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にっち家
北海道旅行は8泊9日。

最初はね、ケイタもいてるし、晩は何も予定を入れてなかったんだ。

でも、やっぱり久しぶりに行くと、

いろんな人が家に招待してくれたり、

YFN(ユースキャンプ)のためのセミナーが入ったり、

ケイタも早く順応してくれたので、

思った以上に充実した旅になりました。



本当は日曜の晩に、にっち宅にお邪魔する予定だったんだけど、

結局、金曜日のYFNで会うことになりました。

受付でね、
「にっち、来るかな〜。ドキドキ」

って待ってたんだよ。

んじゃ、『もちろんデザートゎ好き★でも神様が一番スキ(*o>U<)o』のみかちゃんが、


「あっ!にっちだよ。」

って教えてくれたんだ。



受付してるところに歩み寄って、

「にっち!」

って声かけた。



すると、

「あ〜〜〜〜〜〜。えりんぎ。」

って。


実は普段『えりんぎ』と呼ばれなれてないえりんぎ。

なんか妙に変な感じで、

でも、にっちにリアルに会えたことが嬉しくて、

ついつい、にっちをバンバンしちゃった。

大阪のおばちゃん丸出しだわ。。。



でも、このブログの繋がりってすごいよ。

ずーーーっと以前からの友達みたいなんだよね。

「にっち!久しぶり〜!」って感じ。笑

しかも、その横には、

コメント女王こと優ちゃんがいてて、

優ちゃんも、全然初めて会った気がしない。

純日本人のえりんぎが、思わずハグしちゃったよ。

前にね、北海道に帰るかも?って聞いてたんだ。

でもまさか、私が北海道に行くときと重なるなんて思ってもみんかった。

嬉しかったね〜。

神さま、ありがとうだね。



そして、みんなで賛美したんだ。

同じメッセージ聞いたんだ。

ブログ初めて一年も経ってないよ。

こんなことがありえるんだね。



にっち宅に行けなかったのは、

残念って言えば残念だけど、

でも実は、

さほど残念でもないんだよね。

(しいて言えば、なみえさんの手料理が食べれなかったこと?)

なんかね、「神様がまた会わしてくれる!」って平安があるだよね。

それがどんな形なのか、もう!めっちゃ期待!!



日曜の朝、にっちから、

「妻が体調不良で、昼までに回復しなかったら家に招待するのは難しいかも。」

ってメールをもらって、

その前に伝道の書を何故か読んでて、

『時を定めるのは神様』てっことを示されてたんだ。

その後のメールだったから、

神様に文句言わないで済んだ。笑

それで、その後Aiと電話で祈ったんだ。

「神様の心が成るように。」って。



結局、その晩は会えなかったけど、

夫婦で、夫婦のために祈ったことが嬉しかった。

にっちとえりんぎは、家族が与えられてから繋がった。

にっちのブログでも書いてくれたけど、(「えりんぎと会えたよ!」より)

私が北海道にいる時は、

かなり近くにいてたのに、

話す機会はなくて、

同じ空間にいてたのに、

ただそれだけで。。。



でもね、

家族が与えられて、

息子は同じ歳で、

しかも、Aiとにっちは同業者で、

私が大阪に戻ったのに、

それから繋がることができたんだ。

やっぱり、神様がなさることは想像を遥かに超えてる。



だから、これから神様がしようと為さることに、

めっちゃ期待!!かなり期待!!


「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」
(伝道の書 4:12)

この三つ撚りの糸。

夫と妻と神さまってよく言われるけど、

夫婦と夫婦と神様とも言えるかもしれない。

神様にある、夫婦同士の繋がり。

新しい世界を神様は教えてくれてる。

そんな風に思える。

私たち夫婦で、にっち夫婦のために祈ったとき、

それが起きたような気がするよ。




あ〜〜〜〜〜〜〜〜。

素晴らしいね!

にっち家と会わせてくださって、

神様、ありがと!


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